The法円坂vol.68 新管義偉政権の躓き
新管義偉政権の躓き
弁護士 稲田堅太郎
モリ・カケ・サクラ問題に対する追及を恐れ、コロナ災害の対策不充分な中で敵前逃亡するような形で七年八ヶ月に亘る長期安倍政権が終了した。
後を引継いだのは安倍政権下で官房長官を勤めた菅義偉総理であり「自助、共助、公助」を掲げて自然災害やコロナ災害下で苦しむ日本人に自己責任を中核とする社会像を示して登場した。
登場早々の躓きが日本学術会議新会員の任命について会議側が推せんした一〇五名のうち六名を拒否した問題である。
日本学術会議は一九四九年に日本学術会議法において創設され、太平洋戦争で科学が戦争に動員された反省から内閣総理大臣の下で経費は国庫負担であるものの政府から独立して職務を行う特別の機関と規定されている。
学術会議の発足にあたり、時の吉田茂首相は「日本学術会議はもちろん国の機関でありますが、時々の政治的便宜のための掣时を受けることのないよう高度の自主性が与えられています」と式辞として述べています。
会員の任命は法律で「同会議の推薦に基いて総理大臣が任命する」とありますが、一九八三年に時の中曽根首相が「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由独立をあくまで保証される」と述べ、従来からこの考えで任命されてきたのである。
にもかかわらず今回の菅総理の任命拒否は暴挙であって、任命しなかったことについての国会答弁では「総合的、俯瞰的」「多様性」など、全く説明になっていないものである。
この暴挙に対して学会ばかりでなく映画界や多くの一般市民、米国の学者からも抗議声明が出され国会周辺の抗議デモに発展し、著述家の菅野完さんはハンガーストまで実行されています。
なかでも菅総理の母校である法政大学の田中優子総長は「私は学問の自由を守るために声明を出します」として「適切な反証もなく圧力によって研究者のデータや言論をねじ伏せるようなことがあれば断じてそれを許しません」と強く抗議の意思を表明されました。
それに加えて、菅総理は二〇一二年に出版した自著「政治家の覚悟」において、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」と公文書管理の重要性を訴えたり、当時の民主党政権の政治的発言への弾圧をとらえて「自分だけに都合の悪い発言を封じようという意図が感じられる」と批判していたにもかかわらず、今回改めて出版された文春新書の「政治家の覚悟」改訂版では自分に都合の悪い前記部分を削除するという悪どさである。
まさに御自分に都合よく解釈やルールを変え、一方的な言い分を押し通す態度のあらわれではないか!!
この先の政局運営が思いやられる。