The法円坂vol.68 自粛という強制

自粛という強制

弁護士 乕田 喜代隆

1 新型コロナウイルスは、世界的にパンデミックを引き起こしました。その収束も見えない中で新年を迎えました。政府は自粛を要請し、新しい生活様式を身につけようと呼びかけています。感染症を防ぐ一番の方法は、人と人の接触を避けることですから、このことをいけないと言われないでしょう。
 しかし、政府の自粛要請は何をもたらしたのでしょうか。コロナ渦の前から貧困や格差があり、失望や不安が人々の中に拡がっていました。このような中、不安感が他人を攻撃したりする気持ちにさせます。コロナがそれに拍車をかけ、コロナに罹った人やその学校等にバッシングが起こりました。
 感染対策を取っていてもコロナに罹ります。コロナに罹ったことが悪いように言われ、さらに、夜の街などのイメージで、自粛を強制されました。日本は同調圧力が強くて、法律の規制がなくても、みんなが守っていることを守らないと責められます。そのなかで、分断と排除が起こり、社会的弱者は忘れられます。
 戦前の「ぜいたくは敵だ」「ほしがりません勝つまでは」の標語を思い出します。国民同士が監視し、同じ行動を強制する。このような社会がどにに向かっていくのか心配です。
2 菅首相は、「自助」次に「共助」、最後に「公助」と言いました。でも、国民はみんな必死に自助努力をしています。それなのに、コロナ渦で苦しんでいる国民を前に、まず自分でなんとかしろ、みんなで助け合え、安易に国に助けてくれというなと言うのです。コロナによる経済的危機で職を失い、あるいは収入の糧を失った人々がいます。政府には、人々の暮らしを見つめる気持ちがないのでしょう。
 日本は同調圧力が強く、助けてほしいと言えない空気があります。政府は、「空気」に便乗し、自らの責任をあいまいにして国民に責任転嫁しています。
3 コロナがなくなることはないでしょう。今後、感染予防と経済の両立を考える上で、医療、福祉、介護、公衆衛生等の行政支援が縮小削減されてきた結果、災害や感染症に対する対応力を弱体化してきたことを直視することが大事だと思います。人間の安全保障こそ真剣に考えるときです。
 コロナ以前に戻るのでなく、貧困や格差を解決するためにも、ケア労働など私たちの暮らしに不可欠な仕事を重視し、最良の公共サービス、公共投資を行い、成長第一でない新たな経済回復を目指すべきです。