The法円坂vol.66 「国体」について

「国体」について

 弁護士 稲田 堅太郎

 今の若い人は、ほとんど例外なしに「国体」とは国民体育大会のことだと思っています。

 しかしながら、日本の近代史、現代史の相当部分が「国体」の一語の持つ暴力性にふりまわされてきた時代であったということは若い人たちにも知っておいてもらう必要がある(立花隆「天皇と東大~大日本帝国の生と死」文芸春秋社2005年)。

 明治維新から太平洋戦争敗戦までの「戦前の国体」といえば、1937年(昭和12年)に文部省が作成した「国体の本義」に表現されているように万世一系の天皇を頂点に戴いた「君臣相睦み合う家族国家」を理念として全国民にこれを強制する体制のことを指していました。この「国体」すなわち国家の統治体制である天皇制を護ることが政府や軍部のおえらがたの最低限絶対にゆずれない線であった。それがために「ポツダム宣言」(1945・7・26)が発せられてから、これを受諾するか否かの議論がずるずると続き、その間に広島と長崎に原爆二発の投下とソ連の参戦がなされ、史上最悪の地獄と北方領土の喪失という事態を招いたのである。

 ポツダム宣言の受諾による敗戦によって日本の国は「国体」とは無縁なものとなったというのが私達一般的な認識となりました。

 ところが昨年4月に出版された白井聡の「国体論、菊と星条旗」(集英社新書)によると戦後のアメリカによる占領政策による対米従属構造の一部を形成するものとして象徴天皇制の存続、戦争放棄、沖縄の犠牲化が三位一体のものとして「菊と星条旗」の結合を戦後の「国体」の本質として生き残ったものであると断定されています。

 辺野古新基地建設阻止を貫いた翁長前知事の遺志を継いで沖縄県知事に当選した玉城デニー新知事をはじめとする沖縄県民の声を無視して工事を進める安倍政府はまさしくアメリカの支配に従属する「菊と星条旗」の結合する国体をまもらんがための施策としか言いようがありません。