ノーモア・ミナマタ近畿第2次訴訟が始まります

ノーモア・ミナマタ近畿第2次訴訟が始まります

「公害の原点」と言われる水俣病。公式発見は昭和31年ですので、もう半世紀以上が経過しています。
しかし、残念ながら、この事件はまだ終わりそうにありません。去る平成26年9月29日、大阪地方裁判所に、19名の原告が、チッソ、熊本県、国を相手に新しい損害賠償の裁判を起こしました。これが「ノーモア・ミナマタ近畿第2次訴訟」です(第1次訴訟は平成23年3月和解成立)。
なぜ水俣病は終わらないのでしょうか。水俣病の原因がチッソの排出した汚水に含まれる水銀であることは昭和30年代に明らかになり、昭和40年代に企業の責任が、平成16年に国や熊本県の責任が、それぞれ裁判で確定しました。
にも関わらず、水俣病は終わっていません。その原因は、「水俣病とは何か」という病像論について、環境省が狭く限定しようとしているからです。水俣病の行政認定患者よりもはるかに多くの患者が裁判などに立ち上がり、救済の対象となってきました。それでも環境省は頑なに複数の症状の組み合わせを要求する「52年判断条件」と言われる通知にこだわりました。
平成25年4月、最高裁は、水俣病に関する行政不認定決定の取消訴訟において、「52年判断条件」にこだわらずに認定すべきであると判断し、環境省の認定基準を批判しました。これを受けて、環境省は平成26年3月、病像に関しては症状の組み合わせがなく感覚障害だけでも認定可能と変更しました。ただ、一方で因果関係の厳格な認定を要求しており、結果として認定基準は厳しいままとなっています。
平成25年6月に熊本地裁で「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」が始まり、平成26年8月には東京、同年9月には冒頭のように近畿にて、それぞれの裁判が始まったところです。これまで未解明だった地域にたくさんの水俣病患者がいることも、ごく最近になってわかっています。
ひとたび事件が起こったときに、きちんと対処しなければ、解決に時間がかかる典型が水俣病といえるでしょう。「安上がりの解決」ではなく、全体を俯瞰してあるべき解決を目指すことの重要性を、この事件は教えてくれます。原発賠償問題など、現代的な課題にも多くの示唆を与えている事件です。
                                  
弁護士 中島 宏治